ゼロフラット・原点回帰の旅 〜沖縄〜

bise

沖縄に寄せる想い

先日、久々に出張で沖縄へ行ってきました。
久々と言っても、去年も夏は家族で行ってるので、半年ちょっとぶりくらいなのですが。

実は今、この沖縄を舞台に、企画を進めています。

私と沖縄の出会いは、18才の時に遡ります。
大学1回生になったばかりの夏休み。恩師に連れられて、1週間の旅をしました。

初めての沖縄で、それはそれは、いろんな体験・経験・出逢いが詰まっていた旅でした。

琉球ガラス現代の名工「稲嶺盛吉」先生とお会いしたのも、このときでした。
何てことは無い、他愛の無いお話を小一時間くらいさせていただいて、帰り際にひとつの泡ガラスを差し出してくださいました。
そのグラスは、少しだけ歪で、先生の作品として世に出ることは恐らくないものだったと思います。

先生がそれをどういう想いで私にくださったのかは、知る由もありませんが、18才の青年にとって、それは何にも代えがたい宝物となりました。
(今思うと、「世に出ないモノ。。。」これは、ある意味とても貴重かもしれませんねw)
名工と呼ばれる匠でも、日々試行錯誤しているんだ、そのグラスで水を飲む度に、あのときの風景と共に、そんな想いも沸き上がってくる、そんな特別なグラスになりました。

離島に渡り、真っ暗な港で星空を眺めたり、沖縄の原風景的な豊年祭を体験したりもしました。

そして、とあるペンションとの出逢い。大将との出逢い。

特別な寿司席でいろんな事を話し、いろんなことを感じました。
これは、未だに上手く言葉にできないのです。

熊さんが語る、琉球人の想い。日本人の想い。

関東で暴走族の総長として走り抜け、少年院を経て、熊さんの元で再出発をする青年の姿。

それまでの人生、恐らくどこか無難な選択をしてきた自分。
親のために、国公立に進学し、ストレートに就職して、無難に生きる道。
別に決められてたわけでないけれど、自分で選択する、自分で決める、ということによって発生する、責任から逃れるために、考えること、決断することを避けて流されていた自分。

悔しかったり、情けなかったり、自分の人生の行く先が分からなくなったり。

私はその後、大学を中退することにしました。
理由はこの事だけではなく、当時丁度父親が家を出た事もあったり、大学が第一志望でなかった事、大学生活がそれほど楽しく無かったこと、いろんなことが重なっての事ではありますが、この沖縄の旅が、私の決断の1つの切っ掛けになったことは、間違いがありません。

何で、たかだかペンションに泊まっただけで、こんな事になるのか?
それは、皆さん自身に体験していただければいいかな、と思っています。

先日も、出張の際このペンションへ行き、そして奇しくも、当時と同じように、恩師と大将と3人でお話をしていて、この当時の想いをお話していると、自然と涙が込み上げて来て、我慢することができませんでした。

当時、ひとつの決断をした人間が、結局はまた無難な選択をしてサラリーマンとなり、そして再び決断をして脱サラをする。
「楽しむ事に徹する」とは掲げているものの、それでもやっぱり迷うし、苦しいことだってあるんです。

それも含めて、今生きることを決断し、前に進むことを決断し、歩みを止めることも決断し、全て自分の人生の為に、楽しく生きてるんです。

「原点回帰」の企画を進めに行って、自分自身が改めて原点回帰した、そんな私の人生のマイルストーンとなる旅になりました。

ここには特別な「氣」が流れています。
決して最新の綺麗な宿ではありません。リゾートでもなく、風呂トイレ共用のこぢんまりとしたペンションです。
それでも多くのリピーターが帰ってくる場所であり、数々の著名人もお忍びでやってきます。

そう、帰りたくなる場所なのです。
本当は誰にも教えたくない。そんな、心の故郷なのかもしれません。

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